笑い合うsummer


私たちの間にあるのは友情ではなかったし、夏だけではなく春も秋も冬もあった。

でもなぜか、いつも夏だった気がしている。思い出すシーンが、すべて夏になる。初夏の木漏れ日。炎天下。夏の夜。雷を伴う夕立ち。夜店。秋の気配。秋の気配。

一番最後に、そして一番無邪気に、ふたりの時間を楽しく過ごしたのが夏だったから、すべての記憶をそこにぎゅっと詰め込みたいのかもしれない。


星野源の「friendship」という歌が好きで、iPodにも入れているので割と聴いていたつもりだった。でも先日ANNで弾き語りを聴いた時、それまでとまったく違う光景が私の中に広がって、ああラジオでよかったと思ったのだった。

これをライブ会場で生で聴いていたら、腑抜けになった気がする。


「笑い合うさま」という歌詞が、それは「笑い合っていたようす」という意味であることが頭では分かっていても、「笑い合うsummer」に変換されてしまった。

すべての共に笑い合った思い出が、夏だと思った。

こんなにも明るく切なくやるせなくどうしようもなく、超えられない測りようのない距離のある、私たちの関係を歌われてしまったと思った。

甘美で美しい記憶の中に流れる歌になった。


もうすぐ私たちのひとつの終わりとなった日付をまた迎える。

どれだけ記録が更新されようとも、あの夏より暑かった夏はなかったと思っているし、あの夏ほど気温など記憶にない夏もない。

現実では笑い合えなくとも、花を買って記憶の中で笑い合おうと思う。


いつの日か会えるような

幻を見て一歩踏み出すsummer